カテゴリー「山岳組織」の5件の記事

2008年12月 4日 (木)

忘年会雑感

昨日はA社の研修会&忘年会に参加。たくさんの山岳ガイドさんたちと面識を深められたので収穫であった。
同じ業界でもM社さんとはガイドの資質やマニュアルが違うなぁ。よく整備されている。
著名なガイドさんも自分だけのガイド業ではなかなか生計を立てるのは難しいらしい。特に冬はグーンとオファーが減る。
だけど、皆、顔はいきいきしている。ビジネスマンをスタンダードとすると、たしかにスピンアウトした人たちだが、やりたくもない仕事やプレッシャーに追われ、うつ病になる可能性が高い人たちに比べれば。それなりの年収は稼げなくなるけれど、労務形態も安パイでなくなった世の中で、いかに自分らしく生きられるか。その道も厳しいけれど、やらされるよりも余程やりがいはあるものだ。あとは何を代償にするかだが。

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2008年11月 1日 (土)

ツアー登山

この闘病生活(というほどではないが)になってから記憶にある限り初めて風邪らしい風邪をひいた。薬箱の風邪薬を探してみたが、どれもこれも消費期限が2006年なので、ボーッとした身体を引きづりながらドラッグストアへ行く。さすがに季節柄、かぜ薬コーナーは品揃えが充実。選択の視点は価格と、なるべく消費期限が長いものだった。お陰で昨日、本日と行く予定であった裏丹沢の山行は大事をとる。
閑話休題~~~先日初めてツアー登山なるものに顔を出した。実態を知りもせずに「ツアー登山は危険」とは言えない。まだ一度だけの経験ではあるが、感じたことを整理してみる。
・旅行業法に基づくため、主催者側から余程のことがない限り中止はしない(とのこと)。
 つまり中止となると代金をお客に返さないといけないわけだ。
 台風が接近している場合でも、この判断は微妙らしい。
 どういう時に中止にするかなどのマニュアルが企業によっては未完だという、やはり恐ろしい実態も存在する。
・ガイドレイシオ(ガイドとお客の比率)はガイド協会のそれとはあまりにも異なる。17人までは1人の添乗とのこと。
 実際、添乗が1人ならば先頭を歩くため、一番後方のお客がいなくなってもわからない。
 通常のパーティ登山なら、一番弱い人が2番手を歩くのが常識だが、弱いお客ほど「私は遅いですから、どうぞお先に」と言って最後には一番ラストを歩くことになりがち。
・お客側は「バスで行けるから、乗り継ぎとか待ち合わせとか面倒なアクセスを考えなくてよい」
     (特に主婦の方は)「山に行くには家族の理解が必要。大手の旅行会社なら主人も「そこなら安心だ」と言ってくれる」
     (山岳会などには入らないのですか?の問い合わせに対して)「それってどんな団体なのですか?NPOとか?」
装備は皆さんしっかりしたものを身につけているが、どうもほとんどが「旅行」視点であり、山岳界を存じ上げないようである。
またツアー登山では当然ながら、山の歩き方など基本的なことを教えてはくれない。
登山の玄関口は今、変化している現状を改めて思い知らされた。以前、玄関口は山岳部や山岳会であった。そこで歩き方、計画の立て方、地図の読み方、天気の読み方、パーティシップ、リーダーシップ、トラブルの対処法、記録の書き方を教わることができた。しかし今の玄関口は、旅行会社や自我流が、組織加盟登山者の約70倍ではないかと思われる。
僕はやはり山岳会やハイキングクラブの社会的役割は、このような玄関口になることと育成義務があることだと思う。後進に教えることができなくなったり、教える人がいなくなったら、もうそれは山岳会ではない。また、教える環境(方向性、社会的使命、教育計画など)を保持したり、教えることができるレベルの人がその組織に留まれるような環境維持を行うのは、その組織の長の責任だ。だから山岳会の長は大変なのである。何よりも山岳界の中における使命感がなければ自分を見失ってしまう。
ガンバレ!山岳会、ガンバレ!ハイキングクラブ クライミング、ボルダリング、山ボーダー、トレイルランなど個々で完結できるジャンルは多様化しているけど、登山の玄関口はやはりそういった組織だよ。

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2008年8月25日 (月)

遭難対策協議会救助隊

この度秦野市遭難対策協議会の遭難救助隊に入隊させていただいた。地元の農家の方がメインで構成されているが、やはりこちらも高齢化が進んでおり、団塊世代の方々が引退されると隊員の減少に一気に加速してしまう。今年に入ってお一人が隊員登録をされたのが6年ぶりの新戦力だという。
丹沢がメインの活動エリアである自分に何か役立つことはないか。一般の登山者に比べ、大方の一般登山道、主な沢、一般道ではない尾根などは知っている。このノウハウを活かせる場はないか。そんな想いが民間救助隊入隊を決意させた。出動は現在年に一度程度で、警察等の要請を受けて組織される。実際に捜索救助を行うよりも、警察や消防などの方々を効率よく先導する道案内が多いようだ。従って山を知っていなければならないという。まだ歩いていない沢や尾根も多数あるが、あらかた山域の概要を知っている自分にはうってつけかもしれない。その他には、年2回の救助隊訓練や登山道整備があるとのことだ。先週事務局である秦野市観光課に赴き、今日は救助隊隊長と顔合わせを行う。制服や装備も支給されるらしい。最近は道迷いや滑落よりも病気が多いとは救助隊長の談。それを受けて尊仏山荘と鍋割山荘にはAEDも設置されたそうである。
願わくば出動要請がないことを祈るが、一刻を争う遭難者救助が万が一発生したら全力を尽くしてみたい。
自分を必要としてくれる環境に身を投じてみたいのだ。「必要とされる」ことは、人間誰しも存分なモチベーションが産出される。しかし、そのためには、自分以外の人たちが「あなたを必要としています」と求めるだけではだめなのであろう。内面に自主的エネルギーを産出する「きっかけ」や「絶え間ないアクション」を与えなければ、その人は「必要とされる」とは感じてくれない。今回の自分のモチベーションのプロセスを鏡に映し出してみれば、協働してほしい、育って欲しいと願っている組織のメンバーにも適用できるはず。

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2008年7月12日 (土)

総合山岳会は果たして難しいのか

総合山岳会を組織として維持し束ねていくのは大変なことである。登山のジャンルは多様化し、フリーやボルダー、アイス、更にはアルパインなどはそれぞれ独自の考え方や技術が進化し、組織から個の追求に時代は変化してきた。
その中で総合山岳会は内部分裂を繰り返し、弱体化していく中での事故も増えている。昔の合ハイ的な登山の沿革や処世術にまだまだ疎い人や健康志向やヒーリングを目的にしている人たちから、スポーツとしてより難度の高いものを目指す人たちまで、まるでダイバーシティのごとくそれらをまとめていけるか否か。それがモノならよいけれど意志を持つヒトだからますます大変だ。
実はそいつを実現していきたいのだ。
組織的山岳会のモノサシを知り、沢及び釣りのモノサシを知り、ボルダーやフリーのモノサシや考え方を知り、登る側、助ける側の見解を知り、それらをひとつの会の中で刺激させ合い、認め合う文化の創造を。だからこそ、すべてのジャンルに精通していく必要がある。でも普通の生活をしていたのでは、あまりに時間も余裕もなくなってくる。(よく今までやってきたと思う)だから今のような生活が必要なんだよな。
ダイバーシティというよりダイバービレッジでよい。そこに住む村民は自分の得意分野でオーソリティを目指せばよい。「目指す」とは「より成長したい、高みに行きたい」という意志を持たなければならない。つまりは「より速く、より高く、より強く」を自身のまたはチームの充実感とするスポーツとして捉えられる人の集まりを前提としていなくては成立しない。そして、それらを受容し、人を惹きつける尊厳、村民に率先して未開の地を切り開くエネルギーが必要である。
どうせ他の人に比べ短い人生なのだから、死ぬ時に初めて満足できるよう突っ走るだけだ。時には迎合し、時にはたぶん他人には理解しづらい言動で揺さぶることもあるが、すべては「現状でよし」ではなく、「階段を昇り、より高い所を目指す」ためなのだ。

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2005年6月17日 (金)

山岳会

なんだかんだと今年も山岳会の総会の時期になってきた。理想を高く掲げても相変わらずそれは個人の価値観に過ぎないのであり、何十人の価値観をへこませてしまっては、それは単なる思想の押し売りだ・・・と、何年もわかってはいるけれど、これがなかなか払拭できないのは哀しい性だ。ちょっとした言動が人を傷つけることが自分も含みまだ周りでよく起きてしまう。今年に入り病床に伏し、追い打ちをかけるかのように怪我してしまった。こんなことがなかったら僕は自分のためにも、僕がきっかけを作った会のためにも新しい集まりを作ったはずだった。人間は同じステージに長くいては進化は得られない。これが自分のためということ。また組織の中に長くいる古狸は、新しく何かをやろう!としている(会歴が)若いやつらにとっては、絶対阻害要因になるはずだと思う。それは僕自身が会社とか連盟とか山岳会とかで踏んできた轍でもあるからね。でも他人のやることにそのままおとなしくいることはできねぇだろうな。きっと何か文句を言うはずだ。人数が多く集まってしまった組織において、0か1かデジタル的なルールは表面上には必要なんだけど、真っ向からそれを適用するだけではいつか人間関係ってのは破綻する。だからカリスマ的な人が物差しになってやらなければいけないし、そういう人がいる組織はある程度の期間うまくいくんだろうね。でも僕はそうなることを半分放棄してきたわけだし、今だって自分の中でこのままでいいのかって葛藤している。会社でもそうであったけれど、連盟や会の渦の中心になるってことは、常に人に働きかけなければいけないし、知らないうちに病魔に蝕まれるほどのストレスをためるくらいエネルギーが必要だ。理想はすべての人間が充実感を得ることなんだけれども・・・。                                     新進の会員のためにも物言いをしなくては済ませられない古狸はやはり去るべきだろうね。9506yokoohidari

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